私は産業翻訳から特許翻訳に移行した身なのだが、特許翻訳に参入した際に、いわゆる「翻訳支援ツール」を購入して使用することにした。
これは、参入時の勉強で「支援ツールは導入したほうがよい」というアドバイスに素直にしたがっただけなのだが、初期投資額の高さに当時は辟易していたものの、今となっては十分にベネフィットを受けることができるようになっている、と感じている。
今回は、これらのツールがもたらしてくれる真の「ベネフィット」の話をしたいと思うのだが、その前に私が使っている翻訳支援ツールを紹介しておきたい。
非常に使い勝手が良いツール。動作の軽さと、用語認識の確実さが満点レベルのクオリティとなっており、私が今ゼロから特許翻訳(に限らず、翻訳業)に参入するのであれば、一番にこれを購入する。購入は米ドル、ユーロ又はハンガリーフォリント(このソフトはハンガリー発の企業が作っている)のみで受け付けているが、通常得価格でも約7万円と、少なくとも10年間使い続けるのであれば十分にもとは取れる代物だ。
memoQに限らないが、翻訳支援ツールの良さというのは
・出てきた単語を登録して、次からはクリック1つで挿入できる
・翻訳した文章を「メモリ」として保管して、同じ文章が出てきてもそのまま使える
という「資産化」にあるのだが、これは仕事を続けていくと実感するものである。
業界のデファクトとも言われるソフトで、一番有名なのがこれだろう。参入時も「Tradosを購入しておくべき」とのことだったので素直にしたがったのだが、今言えるのは、そこまでオススメのできるソフトではない。あまり多くは語らないが、memoQと比べると動作も重く、用語認識にも何がある。ただ、仕事の条件で「Trados必須」という会社もあり、このソフトを使ってのパッケージファイルの送受信を行う場合があるので、「ないよりは有ったほうがよい」ソフトがこれである。
ただ、値段がバカにならないものなので、とりあえずmemoQを導入しておいて、稼いだお金でこちらを購入する方が良い。
なお、TradosのパッケージファイルもmemoQで開くことができるのだが、クライアントによっては「Tradosで作成したパッケージしか受け付けない」というところもあるので(内部データが異なってくるらしい)、あれば便利、というソフトである。
一番値が張るソフトだが、これは購入に値する。
というのも、このソフトの真骨頂は、機械翻訳機能にあるからだ。
といっても、何も全て自動的に翻訳すればよい、というようなことを言っているわけではない。例えば、化学系や製薬系の案件で、とてつもなく長い化合物が夥しいほどに出てくるが、これらをこのソフトにかけると、自動的に日本語で吐きだしてくれるのだ。
このソフトがないと、例えば
poly(2-ethyl-2-oxazoline)-cholesteryl methyl carbonate
のような単語が出てきても、個別に登録している単語を当てはめたり、‐を手入力しないといけなかったりと、時間がいくらあっても足りないし、ミスの危険もある。
Pat-Transerがあれば、もちろん目視で確認しなければならない部分もあるが、基本的に原文を日本語にして吐きだしてくれるので、これを訳文に流用することができる。(苦手なのは、化合物の末尾が「-one」となっていて「-オン」としないといけないのに、「-1」となってしまう等であろうか)
というわけで、こういう操作感は是非、実際に購入して頂いて味わって頂きたいのだが、
これらのツールの本当にベネフィットは、どこにあるのか?ということである。
どうやら世の中には、こういうソフトを使ったり、自動置換のプログラムを組むなどして「1日あたりの処理量」を自慢する同業者の方々がいるようなのだが(これは聞いた話で、私は実際に会ったことはない)、私はこれは、「支援ツールのベネフィット」ではないと考えている。
もちろん、単語や熟語、文章を登録/メモリ化することによって再利用できるというのは、「過去に投入した時間」を今に活かす立派な方法であるから、仕事をしているとこの良さは実感できる。
しかし私は、翻訳支援ツールの真のベネフィットとは、「投入できる時間を確保できること」ことにあるのではないか、と考えているのである。
簡単に説明する。翻訳をしていて、分からない単語や調査を必要とする文章に出会ったとしよう。普段の業務では、納期が決まっているから、1日辺りの処理量は自ずと決まってくるわけだが、調査をすると、どうしてもその時間は翻訳を進めることができないから、普通に考えればスケジュールが「繰り下げ」になってしまうわけだ。
そして、このような「要調査」のセンテンスや内容は、案件で何十も頻繁に出てくることはないが、数箇所は必ず存在するし、時には手こずることもある。ということは、初日に調査のために仕事が遅れ気味になってしまったとして、すぐ翌日に挽回できるわけではない、ということもあるのだ(次の日にも、調査が必要な箇所が出てくる、という意味である)。
すると、もし翻訳支援ツールを使わないとしたら、スケジュールが結局後ろにずれ込んで、納期までの仕上げが難しくなってしまう可能性だってある。
しかし、翻訳支援ツールを使っていれば、登録しているメモリを参照にすることもできるし、場合によってはそれを再利用できることもあるから、最初の遅れを後で埋め合わせできる場合が多い。特に、これは対応する仕事の数が増えてからでないと実感できないことだが、特許明細書特有の言い回しや枕詞的表現も案外多いので、それらはメモリの再利用によって「軽く流す」ことだってできるわけだ(再利用の際には、文章の語調やらをどう整えるのか、という微妙な問題もあるのだが、ここでは簡便性のために、その話には踏み込まない)
あるいは、非常に長いフレーズが繰り返し出てくる場合には、それを1つの「ワード」として登録しておくことで、15ワードもあるフレーズをクリック1つで挿入することだってできるわけだから、ここでもまた、時間の短縮は見込める。
何が言いたいのかというと、多くの人は、翻訳支援ツールを使うことで「時間の短縮ができる」ことに価値があると考えていると思うのだが、本当のベネフィットとは、短縮によって捻出できる時間を、明細書の中身の調査やちょっと詳しい、深いところまで調べてまとめてみる、ということに使えることにある、ということである。仕事に直接関係する場合だと、「後である程度挽回できる」と思えば仕事の最初の2日間は調査に充てることができるし、1日の中でも、翻訳そのものは「登録単語」と「メモリ」の補助を受けてサクサク行えるのであれば、明細書の背景知識や関連分野の調査に、仕事の途中でもある程度時間を割くことだってできる。つまり、「この内容はもうちょっと調べてみよう」という心の余裕と仕込みに繋がるのだ。
かくいう私も最近は、明細書に出てきた、自分が知らない新しい単語はその都度意味を含めてデータベースソフトに、コピペに加えて簡単な加筆を行って、仕事の途中でも遠慮なく放り込んでいるが、これをやっても一定以上の処理量は確保できている。その内容は後から見直して更に加筆をしたり、仕事に関係する本を数ページ読んだりもしているが、これは間違いなく、翻訳支援ツールによってある程度「時間の捻出」が可能になっているからに他ならない。
将棋や囲碁では「持ち時間」というルールがあって、自分に与えられたこの時間内であれば、いろいろと先の展開を考えることができる。そしてこれは、特許翻訳の仕事でも同じで、納期までの「持ち時間」は、自由に使えるのである。であれば、支援ツールもなしに、訳文の打ち込みに大半の時間を取られてしまうよりは、同じ時間内に、同じ処理量は確保しながら調査や知識の蓄積も行える方がメリットが多い。これこそが、翻訳支援ツールの本当のベネフィットではないだろうか。
この考え方は、ある意味肩すかしのようなものかもしれない。というのも、この考え方では、価値は「翻訳支援ツール」そのものにあるのではなく、それを使うことによって間接的に得られるものに存在しているからだ。
しかし、「目に見えるもの」にしか価値がない、という考え方は、時として不十分である。小説等の表現でも、あえてそのものを表現しないことによってその存在を逆に際立たせているような技法だってあるわけだ。そこを捉え間違えると、又は盲目的にやってしまっていると、見えるものさえ見えなくなってしまうだろう。
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