僕が新卒で就職した会社を5ヶ月で辞めた話と、当時を振り返って今思うこと

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今回は、僕が新卒で就職した会社を5ヶ月足らずで辞めた話と、当時の話を今振り返って思うことをまとめたいと思います。

 

2012年の3月に大学を卒業した僕は、翌月から仕事を始めました。

しかし、諸々の事情が重なり、僅か五ヶ月(その年の8月末)で仕事を辞め、海外に一時的に「避難」した後、帰国したタイミングで独立。そこから1年半ほど「何でも屋」フリーランスとして仕事をしましたが、将来のことを考えて専門分野を確立して、フリーランスとしてきちんとやっていこうと覚悟を決めてキャリアチェンジをしました。

 

さて、まさか自分が5ヶ月で会社を退職することになるとは夢にも思っておらず、また、世間では若い人が仕事を短期間で辞めることについては賛否両論あり、いろいろといわれていますが、あくまで経験者の一人として、僕自身が体験したこと、考えたことをまとめていきます。

 

就職した目的

僕が大学卒業後に始めた仕事は、「求人広告の営業」でした。

もともと、僕は大学卒業後、就職する気はありませんでした。というのも、大学在学中にリーマンショックや東日本大震災が起こり、自分が大学を卒業した後も、これまでのパラダイムが同じように続くとは真剣に思えなかったからです(ただ、当時から6年くらい経って思うのは、結局世の中は変わらないんだなあ、ということです)。

 

とすると、自分で起業をして何か事業を回して食い扶持を確保する、ということが必要になってくるわけですが、当時は「自分に何ができるのか」ということははっきりと分かりませんでした。1つ取り組んでみたいことに「外国人観光客のインバウンド事業(訪日観光事業)」がありましたが(当時はちょうど、日本への外国人観光客が増えてくる黎明期的な時期でした)、ノウハウもないし何からすればいいのか分からない、といった状態で、結局就職をして食い扶持を確保しながら、残りの時間で仕込みをしよう、と考えました。

 

自分がしたい事業が本当にインバウンド事業だったのかは置いておいて、ある程度収入を確保しながら、残りの時間で仕込みをする、という考え方は、今でも使えますし、むしろそのような考え方を持って副業に取り組む、というのもいいと、今でも思います。

 

就職で「営業職」を選んだ理由は実ははっきりとしていて、「自分でビジネスをするなら実際に何かを売るスキルが必要だから」と考えたからです。当時は「営業=製品やサービスを売る仕事」だと考えていたので、そういう仕事を探して、結局求人広告を取り扱う仕事ができる会社に就職をしました。

 

なお、今実際に独立して思うのは、「営業スキルを学ぶために就職をする」というのは、あまり独立時には役に立ちません。というのも、僕が就職した会社が取り扱っている製品は、大手企業の有名な広告媒体がメインだったので、既に「知名度は高い」状態になっていました。つまり、その知名度やブランドが既に人口に膾炙している状態で、製品やサービスを販売していくわけです。

 

一方で、自分で独立起業するというのは、まず「知名度ゼロ、ブランドゼロ」の状態から、実際に信用を積み重ねて商売をしていく、ということです。つまり、いくら会社で営業スキルを身につけていても、そもそも「ブランド品を売る」ことと「ブランドを作って行く」ことでは、ゲームの前提条件(ルール)が違うので、同じやり方は通用しないことがほとんどです。

 

職場のリアルな状況

話を本題に戻します。

もともと、自分でしたいことがあり、そこに近づくための手段として、仕事を選びました。そして、一般的な就職活動はしていなかったため、大学卒業直前に仕事先を急遽決めました。

当時、僕が仕事を選んだ時の幾つかの基準として、

1、仕事はあくまで収入源の確保であり、平日8時間以外は自分のミッションに取組む

2、仕事を選ぶ際、将来自分が辿り着きたい場所に近い内容である「地方に特化した営業職」を選んだ

というものがありました。

 

ただ、仕事を始めてみるとやはりというか、理想と現実は違うんだな、ということを思い知らされます。

 

仕事を始めて、僕は真っ先に、会社や仕事内容に対して多くの違和感を覚えました。

たとえば、仕事開始前(三月末)に、社員の方とのやりとりをする際、電話が午後9時過ぎにかかってくることが頻繁にありました。「こんな時間まで仕事してるの?」という違和感を直ぐに覚えました。

また、仕事開始時に渡された雇用条件や、実際の業務内容も、事前に伝えられていた、イメージしていた内容と異なる部分が、多くありました。

以下、幾つか羅列し、それに対する個人的な意見も書きます。

①残業手当が支給されない

雇用条件は「事業外みなし労働制」というものがとられていました。

これはどういうものか簡単にいうと、「外回りをしている時は、事業主の監督下にないから、8時間働いたとみなします。ですが、あくまで各自の裁量に任せるので、残業代は支給できません」(=定時が存在しない)ということです。(手当という名目で、一定額の支給はありました)

 

②残業が当たり前

予め、週の数日は残業が発生すると伝えられており、ある程度の覚悟はしていました。しかし、現実は想像以上に酷いものでした。

求人広告の営業の顧客は、一般的な企業だけではなく、飲食チェーンはパチンコ店、ヘアサロン、居酒屋、ナイトまで含めて、殆どあらゆるビジネスと関わります。そのため、むしろ通常常務が終わった後(いわゆるアフターファイブです)のほうが、顧客にとっては都合のいい場合が多いのです。

パチンコ店の担当者は夜勤で入ることが多いですし、ヘアサロンは月火が休みであることが殆どです。飲食店も、営業終了時間近く(午後8時以降、居酒屋になると午後10時以降等)に電話がかかって来ることが殆どなので、根本的に、午後5時にはこちらの仕事を終えることが出来ませんでした。

 

午後6時を回ってからが本番、といっても過言ではなく、会社にかかってくる電話を待たなければいけないことが多々ありました。実際の話、午後八時に帰れれば早く、殆どすべての社員が午後11時頃まで残業をしていました。

上司や他の先輩社員から「午前一時にお客から電話がかかってきた」ということを聞かされたり、午後9時からナイトの営業に出て行き、そのまま日付が変わる頃に自宅に直接戻る…というのを見たりしました。

もともと長く続けようとは全く考えていませんでしたが、「少しでも早く抜け出さないと、このまま人生終わってしまうな」と認識したのは確かでした。

 

③毎週末が締切

求人広告の営業は、毎週明けに発行される広告の原稿を作ります。僕が勤めていた会社は、小さな規模だったので、外回りをした後で掲載原稿を各自で作る必要がありました。

毎週月曜日、火曜日はよいのですが、毎週金曜日の締め切りが迫ってくると、否が応でも忙しくなります。特に週半ばの水曜、木曜は、上にも書いた通り各顧客との対応に時間がかかり、仕事の終わりが毎回見えませんでした。

 

④製品のルールが複雑かつ硬直的

求人広告には、紙媒体のものとネット媒体のものがあります。様々なニーズを満たすために、各顧客に最適な製品を提案できるようにはなっていましたが、それに付随するルール(新規顧客に対するサービスやキャンペーンの内容等)が複雑すぎ、取り扱っている側も理解できないことが多々ありました。

更に、その会社は「代理店」だったので、大元から降りてくる商品をそのまま取り扱うだけにとどまり、顧客から様々な要望(割引等)があっても、一切答えることが出来ませんでした。

 

⑤商談という観点で、顧客と対等な関係を築くのが難しい

営業の魅力というのは、顧客と商談を進める中で、納期を決めたり内容を決めたり、より多くのメリットを提供したりと、「関係を築き上げることが出来る」ことだと思っています。

しかし、僕の業務では、予め締め切りが決まっており、顧客からのニーズを十分に組むことが出来ませんでした。「納期が決まっておりますので」「ルールですので、割引は一切効きません」ということしか商談の際に言えず、自分でも辛い時が多くありました。

 

⑤上司からのパワハラ

とにかく、細かいことを度々つっこんでくる上司でした。言葉遣いも、毎回何かを言われ、更に一方的に押し付けるような言い方しかできない上司だったので、こちらも精神的に潰れてしまいました(一番ひどかったのは、電話で報告をしている際に「はあ…」と曖昧な返事をしたら「年上に向かってどんな口答えしてるねん、バカ、ボケ!」と言われたことでした。)

僕の仕事のやり方に対して不満を言っては自分の方法を押し付け、仕事以外の私生活のことにも頻繁に干渉してくる上司でした。もちろん、そんな環境に対して泣き寝入りをしてしまった僕も、全く力のない存在だった訳で、これを克服しないと、また同じことを繰り返してしまうのではないか、とも思っています。

 

これらのことを考えていくうちに、「長くいればいるほどこの環境から抜け出せなくなってしまう」と思いました。幸か不幸か、お盆休暇に一週間上海に行き、その間に自分の考えも変わりました。帰国後、仕事に復帰できなくなり、そのまま辞めてしまったのですが、今はあの決断(というか、半ば強制的に決めざるをえなかった)は間違っていなかったと思っています。

このように、数多くの要素がありました。

もちろん、改善できる箇所もあったとは思いますが、当時はそこまで考えることが出来ずに、突然心が折れてしまいました。

 

ブラック企業で勤めて、退職をして、考えたこと

①「選択肢」を持っていることは武器になる

瀧本哲史さんの「武器としての交渉思考」にも書かれてあったことなのですが、「自ら選べる手段を複数用意しておく」ことがとても大事です。

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どれだけ酷い労働環境の元で働いていていも、そこを抜け出せないのは「自分が他の選択肢を持っていないから」だと。

もし、他の仕事や生活手段を選択肢として持っていれば、現在の状況と比較して、自ら選ぶことが出来るわけです。なので僕も、自ら取捨選択が出来るだけの選択肢を作りたい、それだけ強くなりたい、と思いました。

 

このブログを書いている現在では、不自由なく暮らせるだけの収入をフリーランスとして確保し続けることができていますが、学生時代から、月に5万円でも10万円でも、「自分の力」でお金を稼ぐことができれば、また見える世界も違っていたのではないか、とは今でも思います。

 

それは、不要品の転売や国内転売のような、単純に利ざやを稼ぐ商売でも、現在やっているような翻訳、ライティング業でも、何でもいいのですが、もし就職をしたとしても、会社の業績が傾いても、あるいは心身が壊れて職場に復帰できなくなったときでも、「自分の力でこれだけ稼げるんだ」という実績を持っていれば、それは自信になりますし、いくらでも自分でビジネスをしていくことができるのではないか、と思います。

 

自分自身でマネタイズができる、ということは他でもなく「自分の砦を作る」ことです。学生時代(10代後半)あたりから、その世界に片足を突っ込んでおきたかったな、とは今でも思っています。

 

②自分が「生きるべき」環境は、必ずある

僕は会社を退色した後、海外に2ヶ月ほど拠点を移して「療養」に専念しました。

当時は、職場の環境と、海外での環境の差が大きすぎたこともあって、本当にかけがえのない時間を過ごすことができました。

 

あれから約6年たった今までも、少しずつ仕事を変えたり、住む場所を変えて生きてきました。そんな経験から思うのは、「捨てる神あれば拾う神あり」というか、自分を必要としてくれている環境(フィールド)は必ず存在している、ということです(でも、それにいつ出会うのか、というタイミングは人によって違います)。

 

だから、今の環境が自分に合わない、どうしても自分が合わせられない、というときは、あなたがまだ10代あるいは20代であれば、環境を変えることを積極的に考えてもよいのではないかと思います。

 

環境を変えた先で、自分がいきるべき世界に巡り会えるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。

 

会社を退職したほうがいいか、しないほうがいいか、について

と、ここまでは、会社を退職した当時(2012年)のメモを参考にして、まとめてきました。

ここからは、今更に年を重ねたうえでの、自分の考えをまとめておきます。

 

まず、会社を辞めたほうがいい(やめるべき)か辞めない方がいいか、という話についてですが(あくまで、僕より若い20代の方向けの話です)、「心身が壊れるのであれば辞めた方がいい」です。

 

僕が当時会社を退職したのは、会社に行くのに家を出られない、電車に乗れない、乗ったとしても動悸が激しくなってしんどい…という、一瞬の「パニック障害」の状態に陥っていて、自分ではどうすることもできなかったからです。当時勤めていた会社は零細企業なので、部署の配置を変えてもらうとか、直属の上司を変えてもらうとか、そういった人事的な施策を打ってもらうこともできませんでしたし、休職制度も整っていませんでした(そもそも、就職して半年以内なので、取れる有給休暇の日数も限られていました)。

 

僕の場合、半強制的に「会社に行けなくなった」ことでやむなく退職しました(他に取れる選択肢がなかった)が、もしあなたが会社を辞めるか続けるか、について悩んでおられる場合、「会社の制度で対応できる」場合は、まずは社内の信頼できるスタッフに相談をして、その制度を活用しながら療養されるのがいいかと思います。休職制度を使ってみる、部署の配置転換を相談する、上司を変えてもらうなど、もし何らかの対策を会社(人事)が取ってくれるのであれば、それを活用しない手はありません。

 

逆に、精神的に追い詰められている、肉体的に限界が来ている場合は、あまり先のことを考えずにアクションを起こすほうがいいでしょう。大切なのは何よりも、あなた自身の健康です。いくらお金があっても、スキルがあっても、命を失ってはなにもできません。

 

僕は当時、あのまま仕事を続けていたらどこかで命を落としてしまっていたんじゃないか、と今でも思っています(実際、僕が退職した後に元同僚から聞いた話では、上司が過労で体に障害を負ってしまったようでした)。

 

あなたがまだ若いのであれば、人生は何度でもチャレンジし直せます。10代、20代なんて可能性の塊なんですから、その可能性の発露を自分自身で殺さないようにして下さい。

 

就職する前に読んでおきたかった本

以下は、僕が学生時代に読んでおきたかった本の一覧です(これらの本は、僕が大学を卒業してから出版された本がほとんどです)。

 

これらの本を大学時代に読んで、「就職する以外の道でも生きていけるんだなあ」と少しでも皮膚感覚として理解しておけば、もっと余裕を持って当時を過ごすことができたんじゃないかと思っています。

 

①ナリワイを作る~人生を盗まれない働き方(伊藤洋志)

ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方

当時、会社を退職したタイミングで出版された本。副題の「人生を盗まれない」っていうのにビビッと反応したのですが(当時は自分の人生を盗まれていたので)、この本で紹介されているのは、いわゆる自給自足的な仕事の作り方です。

 

どちらかと言うと「起業」に近い世界の話なんですが、起業してガツガツ稼ぐ、というマッチョなものではなく、「身の丈にあった、足るを知る生活」を送るというコンセプトと、その実例を知ることができる一冊。

 

僕は現在、この本に書かれているような方法で仕事は行っていませんが、この本を読んで当時学んだ「イズム」は今でも色あせずに持っています。

 

②ニートの歩き方(pha)

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京大卒ニートの「pha」さんの代表作と言ってもいいのが、この一冊。

今で言う、いわゆる「シェアリングエコノミー」だったり「評価経済」の話を地で行く(実践している)本なのですが、「就職しないといけない」「仕事をしてお金を稼がないといけない」という価値観からの呪縛を逃れるのに(逃れられなくても、そういう世界を知っておくのに)必要な本と言えるでしょう。

もちろん、こういう生き方ができるのは独身で子どももいない、という人に限られるのですが、この本を読んでおくと、「本当に会社が辛くて仕事ができない」状態になっても、とりあえずの隠れ家(比喩的な意味で)を作ることはできます。

③僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか(木暮太一)

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

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この本では、「労働者の世界の論理(ルール)」が分かりやすく説明されています。「会社から支払われる給料の役割は①自分のリフレッシュ②自己投資③労働力の再生産(結婚して子どもを産んで育てていく)に使う」という、資本論で述べられている労働者のルールを分かりやすく解説している本です。

 

この本を学生時代に読んでおくと、仕事を「やりがい」や「スキルアップ」という、労働者目線だけじゃなくて、よりメタ的な鳥の目(資本主義社会というシステムを俯瞰的に眺める)を持って、仕事やお金を捉えることが可能になります。

 

この本も、出版されたのが2012年の4月…。僕が大学を卒業した直後でした。こういう本を今、高校や大学在学中に読むことができる人たちは本当に恵まれていると思います。

まとめ

今回は、僕が会社を退職したときの話、そして当時を振り返って今思うことをまとめました。昔書いていたブログ記事を読んで「当時は青臭いことを考えていたし、とても尖っていたな」とも思いますが(笑)、当時あの状態で、よくここまで色んなことを考えていたな、と感心もしました。

 

今回の記事は、僕より若い方向けのものですが、会社を辞めるか辞めないか、について、経験者の一意見として参考にして頂ければ幸いです。

 

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