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毎年夏至になると考えること

エッセイ

早いもので、今日(21日)が夏至なんですよね。

 

僕は月曜か火曜が夏至だと思っていたので、もう過ぎ去ってしまったかと思っていましたが…。

 

ちなみに、僕が1年の中だと夏至の頃が一番好きです。日照時間が長いと、体の中からエネルギーが満ちあふれてきますからね。

 

ただ、普段生活をしているとなかなか「夏至」って気づきませんよね。

 

8月くらいが「夏本番」なんですけど、その頃って意外と日照時間が短くなっていて、なんだか切なくなるわけですよ。

 

気づいたら時間が過ぎ去っていた、という感覚ですよね。

 

で、夏至は好きな一方で、恐怖を感じることもあるわけです。

 

というのも、夏至が過ぎると、あと半年は日照時間が一方的に短くなっていくわけですから。

 

これって、考えてみたら怖いことですよね。

 

 

僕は少なくとも嫌いです。

 

で、これをゆくゆく考えていくと、半年日照時間が短くなった後は、また半年、日照時間が長くなる時期を迎えるわけですが、その間に1年という時間が過ぎ去っているわけですよね。

 

そして、夏至をあと何十回か迎えると、自分の人生に終わりが来るわけです。

 

なんか、とても切なく感じませんか?

 

僕は多分、あと50回くらい夏至を迎えたら自分の寿命を全うすると思います。

 

が、よくよく考えたら、別にあと50回夏至を迎えられる保証なんてどこにもないわけですよね。

 

僕の夢には、夏至の時期に北欧の果てで白夜を経験する、っていうのがありますが、それも早めに済ませておかないといけないのかなあ、なんて思ったりもします。

 

時々、この短い一生で自分は何を見聞きして何を考えて、この世に何を残せるのかな、なんてことをふと考えることが今でもあります。

 

夏至っていわば、地球の公転という意味では1年の折り返し地点なので、この機会にそんなことを考えてみるのもまたいいんじゃないか、とも思いますね。

 

 

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