プロの翻訳者になることも、時間を決めて取り組んだほうがいい

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元奨励会(将棋)三段だった折田翔吾(アゲアゲ将棋実況)さんが再度プロを目指す「プロ編入試験」が、11月から始まりました。

 

この折田さん、僕と同い年(そして、誕生日が3日違い)ということもあって、密かに応援しているんですよね。この編入試験が行われる前に実施されたクラウドファンディングでも、少なくない額を応援の気持ちも込めて、サポートしましたし。

 

今回は、この折田さんの編入試験までのいきさつと絡めて、表題のテーマについて触れたいなと。

 

将棋のプロ養成機関「奨励会」と、編入試験

将棋の世界というのは特殊で、プロになるには基本的に、奨励会という養成機関に入って修行を積み、三段リーグという登竜門を突破しないといけません。そして奨励会に入るには、現役プロの弟子になって、入会試験を受けて現役の奨励会員と将棋を指して、一定以上の成績を残さないといけません。

 

奨励会は月に2回対局があって、その通算成績が一定以上であれば昇級・昇段して(逆に悪かったら降級・降段する)、三段になるとプロの一歩手前である「奨励会三段リーグ」で総当たりを半年かけて行い、成績上位2名がプロになれる、という仕組みになっています。

 

なお、奨励会は6級から始まり、奨励会6級というのはアマチュアでいう四段とか五段の世界。決して、アマチュアの段位=奨励会の段位、というわけではないわけです。

 

また、これは余談ではありますが、奨励会三段リーグというのはここ20年くらいでできた制度で、それまでは三段になっても同様に対局を繰り返し、規定の成績以上でプロ入り、ということになっていました(あの羽生さんがプロになったときは、まだ三段リーグができていなかったらしい)。

 

 

で、この奨励会の規定が厳しくて、20歳になるまでに奨励会初段に到達していなかったら強制退会、26歳になるまでにプロにならなかったら強制退会、ということになっています。まあ要するに、厳しい競争の世界を勝ち抜いた者だけがプロになれる、という暗黙のルールが存在するのが、将棋界というもので、青春の時代を全て将棋に捧げる、という人達がこの場に集まっているわけです。

 

なので、当然ながら三段リーグでも毎回ドラマが生まれ、プロの一歩手前まで来つつも年齢制限に引っかかって、涙を呑んでその道を諦めた、という人が何人もいます。

 

 

そういう人達の多くは、退会と共に将棋を捨てることも多いのですが、逆に勝負・勝利にこだわらなくなったからこそのびのびと将棋を楽しく指せるようになった人も一定数いて、そういう人達に「再チャレンジ」として設けられたのが、この「プロ編入試験」です。

 

 

この編入試験の第一号となったのが、瀬川晶司さん。奨励会を退会後、アマチュアとして結果を残し、プロとの戦いでも結果を残したことから、初めての「特例」が認められ、当時のプロと6番勝負を行い、見事3勝してプロ入り。この出来事は僕が中学生の頃に起こりましたが、そのムーブメントの大きさが社会現象を起こしたのはまだ覚えています。

 

その後、同じくプロ入り目前で苦杯をなめた今泉健司さんも後に、同様の編入試験を受けてプロ入りし、今回の折田翔吾さんが3人目の「編入プロ」になるのかどうか、という注目が集まっています。

 

 

(ちなみに、プロ編入試験を受けられる条件は、良いところ取りで対プロ成績が6割5分以上、みたいな、なかなか厳しいもの。詳しくはググってください)

 

 

将棋に限らず、何のプロになるにも時間制限は必要

 

僕は元奨励会員でもないし、将棋は趣味として続けてきただけですが、プロ棋士の考え方や勝負との向き合い方など多くの面で影響を受けています。なので、昔は奨励会の制度に疑問を持っていたこともあるんですが、今は大きく変わって、「プロになるためには何らかの制限を設けることはある意味では必要」だと、思うんですよね。

 

 

僕が特許翻訳で食っていこうと決めたときにも、色々と教えて頂いた方からは「期限を決めて結果を出せ」ということを何度も、それこそ口酸っぱく言われました。そこで僕は死力を尽くして勉強して、半年くらいで結果を出せたので(安定稼働するまではもう1年くらいかかりましたが)言えることなんですが、言われたように「期限を決めて結果を出す」ことって大事だな、と。

 

 

振り返ってみると、受験でも同じことは問われていたと思います。9ヶ月とか1年とか、あるいは高校入学当時から準備をする人もいると思いますが、ん年後のいつにはセンター試験があって2次試験がある、ということが分かっているので、それに向けて準備をして、結果を出せるか出せないか。突き詰めて考えてみれば、それだけの話なんだなと。

 

僕は受験勉強において、人生で予備校や家庭教師を利用したことは一度もないので、そういう立ち位置での視点になりますが、恐らく独学でも予備校を利用していても、受験で結果が出なかったら「そこまでの実力」だと受け止めていたと思いますし、諦めて滑り止めの私立に進んでいたかもしれません。

(まあ、大学に進んでから、滑り止め私立に進学した友人に話を聞くと、とてもじゃないが勉強できる環境ではない、と言っていたので、その情報を知っていれば浪人するかもしれませんが)

 

 

 

で、受験は当局がスケジュールを決めてくれるし、自分で稼がなくてもいい状態なので少し話は違ってくると思いますが、翻訳でもプログラミングでも、何でもいいですけど、何かのプロになるのであれば、それまでに期限を決めて結果を出す、出せなければ「自分にこの道は合っていない」と諦めて、スパッと別の道に進むのがいいんじゃないか、と思うんですね。

 

 

奨励会にせよ受験にせよ、自分の力がなければ「あなたはこの世界に居続けることはできませんよ」と、幸か不幸か言ってもらうわけで、どんなに悔しくてもそれを受け止めて、新しい世界に進んでいかないといけないわけです。

 

 

今でこそプロになった瀬川さんや今泉さんも、将棋を一度捨てた後は、介護などの仕事を続けておられたようですし。自分が目指していた道を絶たれた悔しさは、僕の想像をはるかに超えたものだと思いますが、その力のなさも受け止めて、先に進んでいかないといけないわけですし、将棋のプロを目指す、ということに取り組んだこと自体は、たとえプロになれなかったとしても、その後の人生のどこかで役に立つんじゃないか、とも思うわけです(こういうこと、たやすく外野が言うことではないと思っていますが)。

 

 

だから、なんて言うんですかね。別に翻訳者になって稼ぎたい、みたいに思うのはいいし、ブログで公言するのもいいと思うんですけど、半年や1年はまだしも、1年半とか2年とか続けてほぼ結果が出ない、稼ぎがゼロ、みたいな状態だったら、もうスパッと諦めて別の世界でやっていったほうがいいんじゃないか、なんて、外野から見ていて思うわけです。

 

 

いくらブログで公言しようと、自分の考えをまとめようと、結果を出せなければ意味ないですし、見ているこっちもなぜか恥ずかしくなるんですよね。これが自分の子どもだったら違うと思いますし、20代中盤くらいまでだったら別に全然いいと思う、むしろそれくらいの気概を持って取り組まないと結果はでないやろ、なんて思いますけど。それ以上の、いい歳した大人が、内容伴っていないのはちょっと………とか、正直思ってしまいますね。

 

 

まあ、将棋のプロになることに比べて、何らかの(普通の)仕事で結果を出すのって100倍くらい簡単だと思うので単純な比較はできませんけれど、まとまった時間取り組んで結果が出ないのであれば、その世界には向いていない、ってことになるんじゃないか、というかそうでしかない、と、真摯に受け取って別の世界に向かうのが、賢明じゃないですかね。

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