前回更新した記事の中にポロッと載せていた情報を頼りに、問い合わせをして頂いた方がいました。
この中に、「今年は翻訳祭に参加する」ことを匂わせる(というか、そう書いている)一文を入れていたら、それに反応して「当日会えないでしょうか?」という問い合わせを受けました(このブログに問い合わせフォームがないので、早いこと設置しないといけないのですが………)。
でも、結論から言うと、僕がそれに時間を使うメリットが感じられないので、丁重にお断りをさせて頂きました。
まだ、僕がセミナーを主催するので、こちらから告知してそれに参加して接点を持って頂く、とかだったら分かりますよ。
あるいは、(どうやら複数の方が当日会いたいということなのですが)、その方全員が、僕の教材やコンテンツを購入して頂いた上で、当日質問をするとか、話をするとか、そういう風に考えて頂けるのであれば、こちらも一考の価値があるかな、という感じです(こういうオファーを受けたとしても、すぐには判断せずに、他のことと天秤に掛けて、最終的に判断をすることにはなるのですが)。
でも………
「何人かで集まるので、それに参加しませんか?」って………。
それは、こちらが色々と教わる側であれば、そんなお誘いを受けたら参加させて頂くとは思いますよ。
とは言いつつ、ステージが上の方からそういうオファーが来るということは、何か裏があるはずなので、そこまで読んだ上で、当日何を得るかは念入りに考えて行動すると思いますが。
でも、「教わる側」が「一緒に参加しませんか?」っていうのは。
提案がお門違いじゃないですか、ってことを、考えたら分かりませんかね。
別に僕は、自分が偉い人間だとも思っていないし、優秀な人間だとも思っていません。でも、何年か前に吐くようなくらい大変な思いをして、心臓を縮ませながら半年勉強して、活用できるものは徹底的に使い倒してしゃぶり尽くして、その上で自分で道を切り開いてきたことは確かですし、その時のあんなことやこんなことがあったから、今の自分がこうしていられることも確かだと思っています。
そして、そんな僕から、何を学びたいのか、何を聞きたいのかは知りませんが、「こっちにメリットがないな」と思われるような内容である時点で、見向きもされないってことは、普通考えたら分かると思いますし、だからこそ「どうやったら動いてもらえるのか?」の部分をあれこれ考えて、入念に準備した上で、相手にオファーを投げかけるように、僕だったらします。
だって、今までもそうやって生きてきたので。
こんなことを言うのは不遜を承知の上ですが、僕はときどき、自分が「運命の神様だったら」と仮定して、色んなものを見るようにしているんです。
自分で自分のことを「運命の神様」だなんて、もう不遜もいいところですよね?
でも、これが結構面白いんですよ。
「チャンスには前髪しかない」って言葉はよく聞きますよね。
頭の後ろの髪の毛はないから、チャンスが通り過ぎていったときにはもう遅くて、捕まえることができない。
だから、チャンスが前からやってきたときに、しっかりのその前髪を掴んで、絶対に通り過ぎないように離さないようにする、という、心の持ちようについて説明した小咄です。
でも、そもそも僕たち凡人に「何がチャンスなのか?」なんて、分かるのか。
よく言うじゃないですか。「ヤバいやつは本当にヤバい姿をしていないし、聖人は聖人の姿をしていない」って。
でも、僕たち人間は単純だから、分かりやすく「チャンスっぽい」ものには飛びつくし、相手が弱そうな奴だったら煽り運転をするし、黒のベンツに乗っていたら絶対に絡むようなことはしません。乞食のようなみすぼらしい姿をしていたら心のどこかでは軽蔑するでしょうし、ぱりっとしたスーツを着こなして、高級な時計やアクセサリーを身につけていたら相手を信用するだろうし、ムキムキの身体にタトゥーを入れてTシャツ1枚にサングラス、なんて風貌だったら、まず近づきもしないでしょう。
でも、そういう外観をしている人が、内面も同じなのかってことはまた別問題なわけです。
日本の昔話でも、ヨーロッパの昔話でも、よくあるのは「貧しい姿をした生き物を助けたら福が舞い降りた」というものです。日本の昔話だと特に多いですよね。鶴の恩返しとか浦島太郎とか、笠地蔵とか。
これ、昔話(おとぎ話)って本当に含蓄に富んでいると思いますよ。自分が道ばたで困っている人を見かけたら、助けることができるか?みすぼらしい身なりをしている人がいても、自分と同じ人間として接することができるか?
明らかな成金風の、あるいは「こいつ金持ってそうだな」感を出している人に近づいて、色々教わろう、なんてことは誰でも考えるわけです。
でも、自分にとって本当のキーマンが、そういう身なりをした人間なのか? もしかしたら、電車で隣に座っている普通に見える人が、仕事では圧倒的に結果を出している人だったり、これから自分の人生で重要な役割を果たす人間になる可能性だって、ゼロではないわけです。
そして、そういう「一見分からない」人を見極める、あるいはそういう人に好かれるのが、運命の分かれ道だと思うわけです。
それを僕は、不遜ながら「運命の神様ごっこ」だなんて言っているわけです。
だって、不遜なりに考えてみて下さい。自分の周りにいる人たちが、自分に対してどういう風に接しているのか? 「この人、どこか憎めない部分があるなあ」とか「ものすごく物腰低いし謙虚だし、色々教えたら実践してくれそうだなあ」と思えるような人がいたら、贔屓したくなりませんか? そして、自分が運命の神様なら、そんな人たちには「この人は将来もっと幸せになって欲しいなあ」と思うでしょうし、何かチャンスを増やせないか?って思いませんか?
僕は、こんな不遜な考え方を取り入れるようになってから、どんな人と付き合うべきなのかをより鮮明に選別できるようになってきました。
それは例えば、普段からコンタクトを取ってくれる/アクションを起こしてくれる人。メルマガに返信を下さる方や、教材を買って下さった方、僕が「これいいよ」と紹介して、それを勝手に買ったり、そこに訪れて下さった方。つまり、何らかの形で「主体的に行動」して下さる方ですね。
逆に言えば、主体的に行動しないのに、僕が「ここに行きますよ」「日本に帰りますよ」と表に出したときに、連絡を取ってくる人。
残念ながら、こういう人に対して運命の神様は微笑むことはできません。
いや、やりかた次第では微笑んでくれることもあるんでしょうが………
僕の場合、そういう情報を表に出したときは、既に大方別の予定が決まっていることが多いので、「時既に遅し」なんですよね。
「本当に有益な情報は表に出てこない」「本当に優秀な人材は市場に出る前に引き抜かれる」「本当に売れる商品は市場に出る前に取引される」という風にも言われますが、結局のところ、「アウトサイダー」である時点で、運命の神様に微笑んでもらえる可能性は限りなく低い。
僕なんて、帰国のときに会いたい人は、全てDMで事前に連絡を取ってアポを入れておきます。そして、別に仕事プライベートに限ったことじゃありませんが、どんな人であれ、(特に初対面の場合は)ブログやSNSを通して情報を仕入れて、話をするときのネタを予め用意しておきます(特に、SNSを通して新しい人に会うことは、もう10年くらいやっていますが、ずっと同じスタンスでやっています)。
そして予め、自分がどんなことに興味があって、人と会うときにはどんなことを聞きたいのか、どんな話をしたいのか。そういうことは、紙にまとめることまではしませんが、頭の中でイメージを膨らまして、事前にざっくりと構想を練り上げていることが多いです。というか、それが普通ですし、そういう風にして色んな人の懐に飛び込んで、出会いの幅を広げてきました。
「人の懐に飛び込む」という意味では、できる限り相手の言うことは聞く、紹介しているものは買ってみる、お店に行ってみる、ということも続けてきました。特に「この人に可愛がってもらえたら、新しい世界を見られそうだ/長期的に見て自分も得しそうだ」と思ったら、できる限り言われることは実践してきました。それは、特許翻訳の勉強をしたときもそうでしたし、海外で出会った、実業をしている知り合いからも、教えてもらったスーツケース、映画、オーダーメイドスーツ、飲食店………できる限り買えるものは買って、行けるところは行って、それを元にまた話題を用意して関係性を深める、ってことをやってきました(結果的に、その方とは今一緒に仕事をするようになりました)。
だから、包み隠さずに言うと、僕が日本に帰ります、翻訳祭に行きます、ということをブログで書いたときに声かけをする、しかもこちらのメリットを伝えずに「ただ会いたいです」なんてことを伝えるだけじゃ、運命の神様には見向きもされませんよ、ということです。
ついでに、こちらも包み隠さずに言っておくと、本当に僕に会いたいと思うなら、とりあえず一般販売しているセミナーコンテンツなどの教材を買って、そのサポートなども徹底的に使った上で、僕に気に入ってもらってから具体的に考えるようにして下さい。
正直な話をすると、そうしないと、2年前に開催したセミナーに参加して下さって、今もメルマガを購読して頂いている方に申し訳が立たなくなるんですよ。
あのセミナーはもう2年前になりますけれど、未だに参加して下さった方の名前とざっくりとしたバックグラウンド、今もメルマガを読んで下さっているのか消えてしまったのか、ということはある程度把握しています。だって、きちんとお金を払って頂いて、東京と大阪の会場まで、遠方から起こし頂いた方も大勢いらしたわけです。
当面セミナーをすることは考えてはいませんが、僕にとっては、当時直接お会いした(そして、今もフォローして下さっている)方には特別な思いがあるので、そういう方を優先して対応したいと思っているし、こちらも贔屓したいと思っているんですよ(最近は、そこらへんのフォローアップも全然できておらず、申し訳ない気持ちもあるんですが…)。
結局は、それが僕の、世の中への向き合い方なんだということです。
今は年齢的に、自分のほうが若いことが多いですが、別に年齢は関係ないと思っていますし。自分が「この人から学びたい」と思ったら、年下であれなんであれ、関係作りの準備に力を注いで、一気に懐に入り込んでいくでしょうね。
まああれです、「自分でチャンスを作ることもせずに、日常に胡座をかいて生きている人」と関わるステージに僕はいない、ということです。
※この記事の続きを、こちらの記事に書きました。
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