先日インターネットをサーフィンしている時にみかけた記事で、少し気になる内容のものがありました。
衝撃!フリーランスの平均年収が350万ってサラリーマンよりも安いじゃないか
この記事で主張されているのは、会社員の平均年収が420万円なのに、プロのスキルを持って仕事をすることが強みのフリーランスの平均年収がそれ以下って意味ないんじゃないの?ということだと思います。
また同時に、今国内外を問わず「フリーランスという働き方、生き方」が注目され礼賛されている風潮に対して、冷静に物事を捉えましょう、という注意喚起を行っている、という意図も含まれているように、個人的には考えています。
ただ、この記事を読んでも違和感を覚える部分がありました。今回はその違和感を解きほぐしながら、世に出ている情報をどのように読み解くか?ということについて自分なりの意見をまとめました。
この能力は、翻訳においても「問いを立てて考えて調査する」というプロセスで必要なものですから、他人事とは思わずにぜひ「物事をどのように捉えて考えるか」のケーススタディーだと思って読んで頂ければ幸いです。
①フリーランスの「年収」とは?
まず、この記事を読むときに根本的に考えなければならないことがあります。それは、フリーランスの「年収」とは何を意味するのか、ということです。
これが案外難しいですね。
逆に、会社員の年収というのは、普通は
月給(基本給)+各種手当+残業代+ボーナス
という風に、分かりやすく言うと「1年間でもらえる賃金全て」と考えることができます。
サラリーマンの平均年収が420万ということは、仮に年収420万円の人を考えると、月給が諸々込みで30万円で、残りの60万円(420万-360万)はボーナス、という内訳で考えてみると分かりやすいでしょう。
もちろん、月給が30万円だとするとここから所得税や住民税、保険料などが天引きされるので、手取額はもっと低くなります。
これに対して、フリーランスの「年収」は、基本的に1年間の「売上」から「経費」を差し引いた金額をいいます。
参考:フリーランス翻訳者が知っておくべきお金の話(売上・経費・所得編)
つまり、業種によって経費として計上できるものの内訳は変わるのであくまで例えですが、
翻訳業の場合ですと、取引レートを分かりやすく10円/ワードとすると(英日)、1年間で合計50万ワードの翻訳を行うとなると、1年間の「売上」は500万円になります。
そしてここから、例えば見直しに使う印刷用紙やプリンター、トナーなどの消耗品、あるいは椅子や予備のパソコン、データを多重バックアップするための外付けHDD、インターネットセキュリティソフトや他の仕事効率化のための各種ソフト等を購入した場合、これらは「売上を上げるために必要な出費」、即ち「経費」として計上できます(他にも、クライアントとの打合せに使った食事代や打合せに行くための交通費、宿泊費なども当然経費に含まれます)。
仮に、1年の売上が500万円の翻訳者が、備品の購入や出張で1年間に150万円を「経費」として使ったとしましょう。
すると、このフリーランスの年収は350万円になります。この金額が、確定申告の際の「所得」になるので、この金額を元に保険料や各種税金が計算され(控除はここでは考えません)ますし、クレジットカードを申し込む時に申告する年収も、この「所得」を申告するのが一般的です。
しかし、翻訳業やライター、デザイナー、プログラマー等の仕事では、売上をほぼそのまま年収と考えることもできてしまうわけです。というのも、これらの業種では普通、「物を安く仕入れて高く売る」という小売業のようなことはしなくてもよいので、実質的に売上の金額をほぼそのまま自由に使うことができる、と考えることができるからです。
これが例えば、自営業(フリーランスより広義です)で、何かグッズを販売する店舗を運営しているとしましょう。
その場合、グッズを1年間販売して800万円の売上が立ったとしても、グッズの仕入れに300万円がかかり、店舗の物件代に100万円がかかり、販売に必要な備品(値札など)を買うのに50万円がかかってしまうとすると、経費として450万円がかかってしまうので、この場合も所得は350万円になります。
小売業の場合、売る物の仕入れにお金は絶対にかかってしまいますし、自分のスキルを売るフリーランスと比べても、どうしても自由に使えるお金が減ってしまいます(売上が500万円/年の翻訳業の方が子供の学費を捻出するために、普段経費で買っていたものを少し控えて、お金を学費に回すことはある程度は可能ですが、小売業の場合売上が800万円/年だったとしても、仕入れ等にどうしてもお金を使ってしまうため、800万円を丸々学費に回すための元金とすることは不可能です)。
さて、少し余計な説明も加わってしまいましたが、ここまで考えると、「フリーランスの年収が350万円」と言っている「年収」とは、果たして世間一般で言われる「所得」なのか、あるいは会社員と同じように、1年間で稼ぐ金額全て(=売上)なのかが、この記事では実は触れられておらず、きちんとした判断ができないんですね。
ただ、この記事のスタンスを見るからには、恐らく「フリーランスの年収」というのは、売上を指しているのではないかと思えます。というのも、仮にフリーランスの平均売上が500万円だとして、そこから経費を差し引いて平均所得が350万円になったとしたら、(フリーランスの業種によりますが)会社員の年収420万円よりも稼いでいる金額ベースで考えるとフリーランスのほうが上に位置しているからですね。
このブログでは「フリーランスのほうが年収が低い」というメッセージが出ているので、恐らく350万円は「所得」ではなく「売上」を指しているのではないかと考えています(つまり、350万円から各種経費を差し引くので、実質的な平均所得は更に下がることになります)。
②4つフリーランスのスタイルが紹介されているが…
ただし、「じゃあ、この記事はフリーランスの平均的な売上を指しているんだな」と合点がいったところでも、更なる疑問は残ります。
この記事では、データを抽出した対象のフリーランスに「4つの種類がある」と書かれていて、それぞれ
①複業系パラレルワーカー
②自由業系パラレルワーカー
③副業系すきまワーカー
④自営業系独立オーナー
と名付けられています。ここでは、同時にそれぞれの「平均年収」にも注目してみましょう。
さて、ここで問題になるのが、この4分類で考えると「年収」が何を指すのかが場合により違ってくる、ということです。
①複業系パラレルワーカー、②自由業系パラレルワーカー、③副業系すきまワーカー、④自営業系独立オーナー、のそれぞれの条件を見てみると、例えば「②自由業系パラレルワーカー」というのは、世間で一般的に認知されているフリーランスだと考えることができるので、この「年収」とは恐らく「売上」のことを指している、と考えるのが妥当でしょう。
しかし、「①複業系パラレルワーカー」を見てみると、「雇用形態に関係なく」という但し書きが付いてしまっています。これは少し問題で、例えば複数の会社から「雇用」されている場合、払われるフィーは「給与所得」となるので、フィー全てを「所得」と考えることができますが、フィーを複数の取引先から「外注費」としてもらっている場合、これは「売上」として計上されてしまいますから、ここから各種経費を差し引いた金額が「所得」になります。つまり、給与所得をもらっている「フリーランス」と外注費をもらっているフリーランスがというのは、いわば物差しの単位が違うのに一緒にまとめてデータを取っているのが問題なのです。
更に、「③副業系すきまワーカー」の場合、本業が別にあるはずなので、本業での給与所得を含めたデータを「年収」として示すのなら分かりますが、副業だけのデータを取り出して「年収60万円」とするのは、どう考えてもおかしいですね(この場合、「副業による年間売上/年間所得」という言葉を用いるほうがより厳密だと言えます)。
また、「④自営業系独立オーナー」も厄介です。なぜなら、このカテゴリーには個人事業主と法人経営者の両方が含まれていますが、個人事業主の場合は「売上-経費=所得」という式で計算ができますが、法人経営の場合、法人の売上と利潤は違いますし、またオーナーがもらう役員報酬は、法人の売上から経費として差し引くことができるので、節税対策のために、法人の売上は2000万円あるけれど、オーナーの報酬(役員報酬、または給与所得)は30万円/月とすることもできるわけです。
つまり、ここでも、法人経営者のオーナーの年収というのは、法人の売上の多寡に関係なく、一般的には低くなっていることも考えられます。
要するに、この記事で紹介されているデータは、実はデータの体をなしていないくらいにツッコミどころが多いものなのです。これはいわば、KgとKmとKm2とKm/h(時速)という、全く異なる単位を並べて何らかの傾向を導き出している、というようなとんでもない代物というわけですね(アカデミズムの世界だと、こんな論文を出したところで当然ながら誰にも相手にされません)。
③情報が本当に有益な情報なのかを判断する
今回紹介した記事はネットではある程度反響があるようですが、個人的には「文章になっていないような文章」を読んでいるようで、ほとんどデータとしては参考にならない、と考えるのが妥当でしょう。
ただ、このデータと記事を読んで、より細かい解像度で内容の信憑性を判断できるようになるには、「年収」が何を指しているのか、個人事業主で使われる売上と所得にはどんな違いがあるのか、といった、基本的な知識と、それらを体系的に組み立てて情報の可否を考える、という思考力が求められます。
そして、このような基礎知識と、それをベースに物事を考えていく力は、特許明細書を読む、あるいは翻訳するときにも必要な力であることは言うまでもありません。
例えば、具体例をズラズラと並べるときに、官能基と化合物がごちゃまぜになって羅列されているとか、明らかに単位がおかしいとか、包摂関係が逆になっている(図面には正しいのに、英文法が間違っていて文章では逆に書かれている)とか、そういうことが明細書を読んでいると時々出てくるのです(英語明細書の場合)。
そして、これらの記載内容(情報)が理にかなっているのかどうかを判断するには、単に情報を知っているだけでなく、その情報を処理する能力(インテリジェンス能力)が必要となります。
このインテリジェンス能力には、単に知識をしっているだけでなく、基本的な知識を体系的に理解して、既知の内容から未知の内容を推定して、仮説を立てて調査を進めていくというスキルが必要です。
今回はブログ記事を題材にしましたが、同じように思考をトレースすることを、特許明細書を読む、あるいは翻訳する際にも意識して取り組んでみて下さい。
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