「フリーランスで翻訳の仕事をやっています」
というような自己紹介を、自分より年上の人達との集まりで初対面の時に行うと決まって「すごい」と言われます。
これは、相手がサラリーマンである場合は勿論だが、フリーランスの場合であっても「若いのに独立している」というのが比較的珍しいからなのか、よく言われます。要するに、どんな人からも決まって「すごいですね」と呼ばれるわけです。
果たして、この人達が何をもって「すごい」と言っているのかは、改めてしっかりと考えてみたい題材ではありますが、今回は脇に置いておくことにします。それよりも、私は以前から常に疑問に思っていることがあります。
それは、フリーランスはサラリーマンよりすごいのか?ということです。
よく、サラリーマンの人から聞くのは、「私なんて会社の看板で仕事しているようなものですから…」「所詮雇われの身ですから…」という謙遜(?)です。
確かに、フリーランス(或いは起業家)というのは、「自分自身が看板」という位置づけで仕事をしています。仕事のクオリティや評価などは全て自分に跳ね返ってくるし、守ってくれるものは何もありません。
しかし、よく考えてみれば、「会社の看板を使って仕事ができる」ということなんて、何の盾もなく仕事をすることよりも遙かに「すごいこと」のように、私のような人間には思えてしまいます。
極端な例ですが、仮に私が電通に入社をすれば、「電通」という看板を使って仕事ができるわけです。あるいは他の有名な広告代理店や商社等でもいいが、いわゆる「ブランド」を、どこの馬の骨とも分からない人間が使えるというのは、大変「すごい」ことなのです。
そして二点目。会社では雇われの身、なんて言われることが両手に余るほどありますが、そんなことを言えば、フリーランスだって起業家だって、「取引相手」がいなければ仕事なんでできないし、一銭も入ってきません。会社員の取引先は(給料を頂いているという意味で)「勤め先」と言うこともできるが、いずれにせよ「相手なしに仕事はできない」というのは、どんな形態で仕事をやっていても同じです。
三点目。会社員がすごいのは、毎月の給料が保証されていることです。これはフリーランスや起業家では体験できないことでしょう。そして、これは半分皮肉も入っていますが、毎日満員電車に揺られて、同じ時間に仕事を始めること。これらも、私からすると十二分に「すごい」ことなのです。
恐らく、多くのサラリーマンは、「(自分になんてできないような)フリーランスとして仕事をする人はすごい」と思うのでしょう。それは、仕事をどうやって取ってくるのか、開拓を進めてくのか、お金のやりとりやトラブルの処理はどうするのか、といった面での想像(或いは、想像の欠如、といってもいいかもしれない)による部分が多いのではないでしょうか。
しかし、それと同程度に、こう思っているフリーランスもいます。「(自分がやれそうもない)会社員として仕事をする人はすごい」と。
こういう話は、同じ立場の人の間で実際に話したわけではありません。が、少なくとも私は、会社員はできないと思っている、というよりも実際に経験してやはり無理だということが分かったのですが、満員電車が無理、とか、同じ時間に仕事を始めるのが無理、とか、殺風景なオフィスで仕事をするのが無理、というような人も、マイノリティであれど、必ず存在するのです。(実際、私の周りにはそういう人も何人かいます)
改めてこの場で誤解を解いておきたいのですが、決して、フリーランスは会社員よりすごいわけではありません。こちらからしてみれは、会社の看板を使えて、ボーナスも支給されて、色んな補助もされる会社員という「仕事術」のほうが、すごいことなのです。
どうも、世の中の大部分の人間が会社勤めをしているからなのか、または、そういう進路が一般的だからなのか、独立している人は、羨望の目や畏敬の念で見られることも少なくはないように思われます。或いは、独立するために勤めを経験して「修行」をする、というキャリアパスもあるからなのか、どうにも「サラリーマン<フリーランス」という不等式が、多くの頭に無意識下に存在しているような気がしてなりません。
しかし断っておきたいのは、決してそんなことはない、ということです。仕事への取り組み、という意味では、どのような方法で行おうと高低は付けられないはずだし、そういうことは本来すべきではない、と思っています。
フリーランスをすごく思っているサラリーマンがいれば、サラリーマンをすごく思っている人間もいるのです。
(ただ、最後に1つ加えておくと、私の場合、サラリーマンを「すごい」と思う感情は、「羨望」とは違います)
このテーマについては、こちらの動画でも解説しています。
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