このブログや、連動しているメルマガは「(特許)翻訳」をテーマにしているのに、多くの記事を読み、メルマガを通して学んで頂いている方の多くは、こんな風に一度は考えたことがあるのではないかと思います。
それは、全然翻訳の技法やスキル、テクニックについて取り扱っていないじゃないか、というものです。
これは、半分意図的にやってきたものなのですが、もう半分は無意識的に取り組んできたことなので、作為100%ということでもないのですが、今回はこのことについて、自分自身の考えをまとめておきたいと思います。
理由①翻訳素材を見つけるのが色んな意味で大変
翻訳ブログの多くは、自分がネットから見つけてきた原文と、それに対する「試訳」を対比させることで、翻訳文を公開したり、何を考えて翻訳をしたのか、ということを記録に残している方も多いです。
このブログでもそうすればいいのですが、色んな事情があってなかなか取り組めません。
1点目は、「守秘義務に反する場合がある」ということです。他の翻訳者ブログでも、まさか実際の仕事やトライアルで出てきた文章をそのままブログネタにすることはないと思うのですが、案外「ブログネタになりそうな素材」というのは、仕事をしていて出くわすことが多いです。
その理由はやはり、時間が限られる中で必死こいて仕事をする中で悩むこと、どれくらいの塩梅で仕事をすればいいのか…という悩みは、勉強より実務で考える比重が高いからではないか、と考えています。こういう言い方はやや大袈裟かもしれませんが、勉強素材を色んな所から探してきて、それに対する翻訳を試してみてネットで公開、というのは、所詮「おままごと」の域を出ないのです。
翻訳の実務をしていると、原文の主語が曖昧だったり(これは日英翻訳で多いですね)、原文の英文法が間違っていたり(関係代名詞の欠如や余分な関係代名詞の存在、明らかな誤記など)、「こんなに間違うか」と思わずツッコミを入れたくなることもよくあります。が、時間も限られているので、それらを逐一、完全に対応しながら仕事を進めていくのは、状況によっては得策とは言えません。
ただ、いわゆる「訳文公開」をしている人の多くは、それらの「細かい事例」を、いちいち重箱の隅をつつくように取り上げている印象を抱いていて、それは私は「違うんじゃないか」と思っているのです。つまり、それらの個別具体的な話を「試訳」で解説するのは、本質的ではない、ということです。
話が逸れていますが、元に戻すと、試訳を公開するのであれば、実務で色んな制限がある中で「うんうん」唸って向き合った文章とその訳文を取り扱うのがいいと思うのですが、当然ながらそれは守秘義務があるのでできない、ということになります。
2つ目の理由は「時間が取れない」ということです。
半ば言い訳がましく感じるかもしれませんが、普段翻訳の実務をしながら、更に「訳文公開」のために素材を探して、試訳をしてみて、それをブログにコピペして公開…というのに、正直言って時間を取ることは厳しいのです。
それに時間を取るのであれば、他の仕事を入れて実入りを増やすか、勉強のために時間を確保して、本を読んだりコンベンション・学会に参加したり、別の仕込みをしたり…ということに時間を使うほうが、はるかに建設的なのです(その過程で試訳を作ることはあるかもしれませんが、当然ながら継続的にブログで公開できるわけでもありません)。
なので、はっきり言ってしまえば「第三者のための勉強素材のために、翻訳のスキルやテクニックをまとめてブログで公開したり教材化する」のは、旨味がないのです。
本当の理由は「勉強は自分から積極的にすべき」だから
と、上で書いたものの、実はこれらは実質的な理由ではありません。
根本的に、私は(翻訳の勉強に限らず)「学ぶことは、真似すること」と考えています。
それは、昔の「職人芸をこっそり盗む」というスタンスに非常に似ています。
どういうことでしょうか。
本来、大人になってからの勉強、特に実務に関係する勉強というのは、「自分の弱みをピンポイントで突き止めて、克服する」というものです(逆に「自分の強みをピンポイントで伸ばす」というのも含まれると思います)。
このブログを読んでいる方の大多数は、翻訳の勉強をしている人、あるいは既に実務に携わっている人だと思います。そして、まさかそれらの方が、「翻訳スキルを全般的に学びたい」とは、思っていないでしょう。
そもそも、「翻訳スキル全般」というのが何を指すのかあやふやですが、実際に翻訳の勉強や仕事をしていると、自分がどこで躓いているか、自分がカバーしなければならない部分はどこか、ということが、自ずと分かってくるはずです。例えば
・英語特有の無生物主語を日本語に上手く訳せない(=構造の違う言語間の翻訳のテクニック不足)
・翻訳しようとしている文章に出てくる言葉の意味が分からない(=専門知識と理解力不足)
・原文でこのように書かれている内容を訳文言語にそのまま移すと、権利範囲が変わってくるのでは?という疑問(=国・地域間での特許法の考え方や適用範囲の違いについての理解不足)
のようなケースが挙げられると思いますが、これら全ての知識やスキルが不足している、という方は、まずもっていないでしょう。というか、全て不足しているのであれば、この分野の仕事を続けていくのは非常に難しいと思います・
では、これらの課題が見つかった時にどうするかというと、まずは誰でも、インターネットを検索して、ヒントになる情報が出回っていないかを確かめる、あるいは本をいくつか買ってみて、そこで裏取りを進めていく、ということがあるでしょう。
翻訳スキルやテクニック、専門分野の用語や知識というのは、正直な話、私がブログでいちいちまとめるよりも、そこら中に出ている本やブログを参照するほうが早いですし、信憑性も高いです(ブログの場合は、企業の公式のものであったりする必要がありますが)。
それに、これらの課題が見つかったとしたら、自分から積極的に調べていかないといけません。まずはそこから、なのです。
私は将棋が好きで昔からその世界の本を読んできましたが、将棋の世界では今でも、師弟制度が存在します。将棋のプロを目指すには、プロの弟子になって、そこで学び続けてプロを目指す以外に道はないのです(今はいくつか、例外的な制度も存在していますが)。
現代でこそ、師弟制度というのは形骸化していると言われていますが、今も昔も変わらないのは、弟子が師匠からの教えを待っていることなんてない、ということです。
それこそ、弟子から積極的に教えを請うたり、研究会に所属して勉強を続けていく、という世界なのです。
この姿勢は、将棋以外の世界でも十二分に今でも通用するものだと思っていますし、そういう姿勢で向き合うことが、本来有るべき姿ではないのかな、と思います。
今では多くの仕事で、研修制度やOJT制度が取り入れられていて、特に企業で仕事をしていると、会社側が様々な勉強の機会を設けてくれて、勉強費用の補助などもしてもらえるようになっています。
しかし、本来的に、大人になってから勉強をするのであれば、自分でどこを克服すべきかを考える、あるいはどんなスキルや知識が足りていないのかを見極めて、その上で積極的に機会を活用していく必要があるのではないでしょうか。
少なくとも、翻訳の勉強をする際でも、「自分に足りない能力やスキルは何か」を考えて、そこを重点的に補っていく必要があるし、それは誰か他人の情報を受け取っているばかりでは、一生気づけません。
そもそもの元凶は「翻訳講座」「翻訳スクール」のような、講座ビジネスが跋扈してしまったことなのかもしれませんが、あれだけを受講しても翻訳の実務に携われる約束なんてないわけですし、傍目から見ていても「ダサい」と思うのです。
そうじゃなくて、自分で弱みを見つけて、克服しないといけない部分を見極めて、そこを主体的にトレーニングしていく必要があります。
その克服すべき点は、「自然な訳文の作り方」かもしれないし「翻訳分野の技術や考え方の理解」かもしれないし、「基礎的なビジネスコミュニケーションスキル(メールライティングなど)」かもしれません。が、それは人それぞれ違うし、他人から教えてもらうものではなくて、自分から積極的に学んでいくものなのです。
そういう考えがあるので、私はこのブログやメルマガで、具体的な「翻訳スキル」「翻訳ノウハウ」というものについて、今までほぼ言及してこなかったのです。
まとめ:まず「己を知る」ことから始めよう
「自分に必要なスキルや知識は何か」-まずこれが分からないと、翻訳の仕事にせよ他の仕事にせよ、目標達成をすることができません。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という諺もありますが、大人になってから大切なのは「己を知る」ことです。
その上で、自分のレベルを上げるために必要な勉強を続けていく。
そのために、必要であれば生まれ変わった「特許翻訳10日間メール講座」をご利用下さい。
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