今回は「アトロプ異性体」の話をしたい。
鏡像異性体とは、対掌性を有する有機化合物の異性体のことであるが、
最も一般的なのは、不斉炭素中心が存在するものだ。
例えば、乳酸。
このように、炭素と結合している原子(あるいは官能基)が全て異なる場合、これらの化合物は重なり合うことができず、鏡像異性体となるのだが、このような不斉炭素中心を持つ化合物以外にも、鏡像異性体は存在するのだ。
言い換えれば、不斉炭素中心を持つことは鏡像異性体となるための、必要条件ではあるが十分条件ではない、ということなのだが、それではどういう場合があるのか、というと、これは立体化学が関係してくるもので「アトロプ異性体」と呼ばれている。
平たく言えば、「本来回転できるのに諸事情により回転できない立体配座となっている」化合物が、存在するのである。
例えば、ベンゼン環が二つ結合したビフェニルを見てみよう。
この化合物は、赤の矢印で示した位置で、回転ができる。
アルカンの炭素鎖が回転できるのと、同じと考えればよい。
しかし、それぞれのベンゼン環のHが他の官能基に変わった場合、問題が生じる可能性がある。
例えば、以下のような化合物を見てみよう。
このような場合、ビフェニルと同じようにベンゼン環どうしを繋ぐ炭素結合の部分が、同じように360°回転できるのか、というと、ベンゼン環どうしを繋ぐ炭素結合のオルト位にある炭素の官能基がどのようになっているかで、回転できる場合とできない場合が出てくる。
この図では、BrとFとなっているのだが、この官能基がの代わりに例えばCOOHだったりCOCH3だったりすろと、感覚的に、それらの官能基どうしがぶつかり合いそうである。
このような場合に問題になるのが立体障害だが、これによって、ベンゼン環どうしを繋ぐ炭素鎖が、360°自由に回転できなくなる、というのは図からも容易に想像できるだろう。
そしてこのような場合に、回転できないベンゼン環どうしの位置に応じて二つの鏡像異性体ができてしまうのである。
上の図の場合、BrとFが付いているベンゼン環が回転しようとしても、
Brは紙面より上側、Fは紙面より下側でしか動けない。
なおかつ、HとFが付いているベンゼン環は、これらの置換基の位置が異なるので
この二つの化合物は、鏡像異性体となっているのがお分かり頂けると思う。
(これらの異性体も、不斉炭素中心を持つそれと同じようにR体、S体と称されるのだが、命名法は複雑なためここでは割愛する)
このように、不斉炭素中心を持たないのに鏡像異性体となる化合痛が存在するのだが、これは「軸不斉」というものに分類される。置換ビフェニルの場合、ベンゼン環どうしを繋ぐ炭素鎖を貫く仮想線を「軸」とみなして、これを基点にして鏡像異性体が作られる、というわけである。
このような異性体は、特許明細書でそれほど多くは出てこないが、以前目にしたのは明細書内の用語の定義で「異性体にはアトロプ異性体を含んで良い」というような但し書きとして用いられているものであった。(原文は英語)
なお、アトロプ異性体への言及が行われるのは、主に製薬分野である。
試しに、特許庁データペースで、「アトロプ異性体」を発明の名称に含んでいる特許明細書を調べてみたら、以下のようなものがヒットした。
例えば、
【公開番号】特開2014-196365(P2014-196365A)
【発明の名称】(ヒドロキシアルキル)ピロール誘導体のアトロプ異性体
赤線及び青線は私が補充したものだが、おそらくこの位置の結合が立体障害により回転できなくなっており、この立体配座を有する化合物が何らかの阻害機能等を有するのだと思う。
(詳しくは確認していない)
あるいはこちら。
【公開番号】特開2010-111657(P2010-111657A)
【発明の名称】ピロール誘導体のアトロプ異性体を含有する医薬
こちらに補充は行っていないが、上と同じような考え方で、軸不斉がどこにあるかは容易に解する。
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