今朝の新聞を読んでいると、「就職活動の内定先から親に確認の連絡がいく」ようなことを書いている記事があり、
飲みかけのコーヒーをこぼしそうになった。
なんでも、「内定理由を親に伝えて納得してもらう」のが目的のようで、「親に確認」という意味から「オヤカク」と呼ばれているらしい。
これには正直たまげてしまったのだが、その理由は
20歳を過ぎた人間の判断に親は関係ない
というものだ。
真面目に考えて、日本では20歳で成人を迎えて、「1人の自立した人間」だとみなされる。
だから、大学で何をするか、ということや、どういう風に自分の人生を捉えて舵を取るか、ということも、
その人(ここでは学生)自身が、自ら考えて責任を取る、ということに他ならない。
だから、その人がどういう理由で就職先を選ぼうが、もっと言うと、起業をするのか就職をするのか、という判断をしようが、それに親がとやかく言う理由は見当たらないはずだ。
恐らく、こういう親は我が子どもに、安定した企業に就職して、安定して一生を過ごして欲しい、と思っているのだろう。特に、リーマンショック以降は、今まで「安全」と言われていたような大企業ですらも業績悪化によりリストラが頻繁に行われるようになってきているから、そのように心配する気持ちは分からなくはない。
しかし残念なことに、「昔と今では時代が違う」ということが事実なのである。
インターネットの急速な普及や高度な技術進歩に伴う作業の自動化など、
かつては考えられなかったような出来事が瞬く間に発生していくのが、今の世の中だ。
そのように、環境が激変している世界の渦中において、
一昔、二昔前のように「一生安泰に勤められる会社」なんてものは、まず存在しなくなった。
だから、そのような大局を捉えずして、未だ旧態依然とした思想・行動倫理に縛られてしまうことは、
今後の選択や決断において、とても大きなリスクとなってしまう可能性がある。
それにしても、このような親に縛られてしまう子どもも酷である。
今後の世の中がどのような風に変わっていくのか、ということすら考えずに、
今までに作られてきたレールに乗っかってしまう。
その先にあるのは幻想でしかないのに。
もちろん、このような親子・家族が全てではないことは承知の上だ。
私は親に何も干渉されずにこれまで生きてこれたし、
海外に留学をして現地で仕事を作ったり、
自ら判断してベンチャー企業に飛び込んで揉まれたり、業を起こしたりしている同世代も沢山知っている。
しかし、これらは考えてみると「若者間格差」とでも言うべき状態である。
自分で考えて行動し、局面を切り開いて荒波をくぐり抜けることができる若者と、
そうでない若者。
そして、この格差を作り出している原因は、
ひいてはその親の思考や価値観にあるのかもしれない。
ここで生まれた格差は、この後どのような差を生み出すのだろうか。
貧困の連鎖のように、世代間格差として受け継がれてしまうのか。
20代の私としては、その時をしっかりと目にしたい。
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