翻訳の仕事をしていると、必ずといっていいほど「コメントの作成」が必要です。実際の仕事ではもちろんのこと、トライアルの段階でも、必要に応じてコメントを作成して、訳文と一緒に提出することが求められることも、往々にしてありますよね。
コメントの書き方や注意事項については、一番大切なのは「クライアントの要望に沿ったもので対応する」というものです。なので、実際に仕事をしている方であれば、それを優先して意識して対応すればいいのですが、これから翻訳の仕事をする方や、駆け出しの方にとっては、その塩梅の調節も難しいのではないかと思いますし、参考にして頂けるように、ここにまとめておきたいと思います。
なお、コメントの書き方については、僕も5年ほど仕事をしてようやく分かってきたこともあります。自分自身の振り返りも兼ねた内容に、今回はしたいと思います。
加えて補足しておくと、ここでまとめるのはあくまで「特許翻訳」に限ったものです。そのため、他分野の方からすると「こんなコメントする必要ないだろう」と思われたり、「こんな風にコメントしないといけないのか」と思われたりすることがあるかもしれません。
ここでまとめる内容は、他の分野の翻訳の仕事をするときには、必ずしも役に立たないかもしれませんので、その点は予めご了承頂ければと思います。
コメントの書き方(英日の場合)
さて、ここから本題に入っていくわけですが、個人的な感覚として、特許翻訳でも「英日と日英だと、必要なコメントは若干異なる」と考えています。なので、ここでは最初に「英日でのコメントの書き方」、続いて「日英でのコメントの書き方」の順に、まとめてみたいと思います。
①原文の表記が明らかに間違っており(タイポなど)、意味をなさないとき
英日特許翻訳で、一番多く遭遇する「エラー」は、原文の表記が明らかに間違っていることではないでしょうか。
卑近な例で言うと、単位の書き間違いや明らかな数字の誤記、単語のスペルミスですね。
「単位の書き間違い」には2つあって、1つは「グラム(g)と書くべきところをキログラム(kg)やリットル(L)と書いている」という、「そのままの単位の書き間違い」の場合。もう1つは、「μ(マイクロ)」など、半角で入力できない(し辛い)ギリシャ文字で書かれる単位を、類似した「u」で書いている、という場合です。
ここで、少し話がそれてしまうのですが、特許翻訳には「パリルート出願」と「PCT(特許協力出願)」の2つがあって、どちらの出願ルートかで、コメントの書き方(というよりは、訳出方法)にも違いが出てきます。
パリルート出願だと、「明らかな誤記は正しい表記への修正が可能」であるのに対して、PCT出願は基本的に「明らかな誤記であっても、原文のまま訳出・表記する(=原文と訳文で内容が変わってはいけない)」という規定になっています。
ですので、厳密に言えば、自分が対応している案件がパリルートなのかPCT出願なのかで、コメントの書き方も異なるのですが、この「明らかな表記の間違い」については、基本的には「誤記があったことをコメントに残し、かつその対応方法を併記する」という対応が、普通は必要です。
「代用記号を使っての単位表記」の対応方法は、クライアントによって「uをμに変換する」のか「代用記号のまま表記」なのか、パリルートでもPCT出願でも別のルール(スタイルガイド)を設けている場合があるので、個別の場合で要確認です。が、例えばトライアルや、特段規定が決まっていない場合は、出願ルートに応じて(どのルートで出願するのかは、トライアルでも最初に伝えられることがほとんどです)、対応を変えて、その対応をまとめておくのが、特許翻訳社の最低限の仕事ではないか、と思います。
また、この①の例でもう1つよくあるのが、「スペルミスによって、本来の意味とは違う意味になってしまう」というもの。これはどういうことかと言うと、例えば「polymer」が「poylmer」と書かれていると、こんな単語はないので「polymer」だと判断できますし、たとえPCT出願でも、正しい意味で訳出することが(普通は)求められる一方で、本来「from」と書かなければならないところを「form」と書かれてしまっていて、「表記のまま訳してしまうと意味をなさないし、そもそも文法構造的に訳せない」という場合のことを指します。
(例えば、the range from 3 to 7 gと書くべきところが、the range form 3 to 7 g、と書かれてしまっている場合、など)
こういうタイポがあったときに、たとえスタイルガイドに「PCT出願では、訳出可能な場合は原文に記載のとおりに訳出」と書かれてあったとしても、この英語を「範囲形態3~7g」と、そのまま訳出することが「できる」のかどうか、というのは、翻訳者やチェッカー個人個人で、感覚的に異なるものだと思います(「範囲形態3~7g」という日本語は、確かに原文をそのまま訳したものですが、これで一応意味が通る文章になるのかは謎ですよね)。
こういうときに、「いち翻訳者としては判断が付きかねますが、スタイルガイドに則って(あるいは、原文どおりに訳出できないので)こういう風に対応しました」ということを明記して、チェッカーに伝えつつ、あるいは特許出願を対応する特許事務所に、最終的な判断はしてもらう、という姿勢を取るのが、一番無難なのではないかと思います。
突き詰めた話をすると、たとえ特許明細書に明らかな誤記があったとしても、そのミスをしてしまったのは、明細書を書いた会社の人や事務所の弁理士ですし、そのミスを翻訳者が対応する、というのはそもそも不可能です。
「特許翻訳者の仕事は、あくまで明細書に書かれている内容を等価なものに訳す」というのが、実際の職務倫理だと思いますから、その範囲でできる最善の仕事をするのが、大事ではないかと思います(なんだか、この記事全体の結論を既に書いてしまった感じになっていますが)。
②原文請求項の初出既出、あるいは用語の揺らぎがある場合
これも英日特許翻訳あるあるですが、請求項を訳していると、どうも、既出のtheが必要だけれども付いていない、とか、やや長めの用語(構成要素)の表記が揺らいでいる、とか、そういうことが定期的に見られます。
これらの問題があるときも、基本的に翻訳者ができることは「恐らくエラーなんだろうけど、翻訳者としてはどうすることもできないので、担当の方に確認と対応してもらう」ということだと思うので、(パリルートの場合は違うのかもしれませんが)「原文に書かれているとおりに訳出して、申し送りしておかないといけない内容だけコメントで残す」というのが、現実的な対処方法になるかと思います。
例えばの話ですが、PCT出願の請求項の構成要素に「washing liquid(洗浄液)」というのがあったとして、別の請求項ではこれが「the washing fluid」と書かれているのであれば、明らかに「washing liquid」を指しているとしても「洗浄流体」と訳して、コメントを残すのが、翻訳者の仕事だと思います。
③明らかな誤記だと分かるタイポ
これは①の関係していますが、polymerと書くべきところをpoylmerと書かれていて、「こんな綴りの単語はないし、正しい表記は誰が見ても分かるであろう」という場合。
こういう場合は、本当の意味で訳出をしつつ、コメントを残すのが普通だと思いますが、明細書の中に明らかにこういう誤記が多くて、コメントを残してるといくら時間があっても足りない、という場合は、「以下、同じ誤記に対しては同じ対処を行いました」のように書いて、翻訳以外の業務の負担を減らすのも、1つの方法だと思います。
実際に、クライアントによっては「明らかな誤記だと分かり、かつその誤記によって文章の意味が変わらない」のであれば、正しく訳してコメントは不要、という場合もあるという話を聞いていますから、この手のタイポは、特許翻訳では日常茶飯事なんだろうと思います。
コメントの書き方(日英の場合)
さて、続いては逆方向の日英翻訳に移ります。「え、これで英日版は終わりなの?」という方もおられるかもしれませんが、補足の内容は最後にまとめたいと思います。
①明らかな漢字などの誤記で、意味が変わってしまう場合
これは英日の①に対応したものですが、パリルートであれば修正して、PCT出願であればそのまま訳して、その旨をコメントするのが適切だろうと思います。
で、残りの②と③も日英翻訳でも意識すべき箇所ではありますが、内容が英日版と重複するので、ここでは割愛させて頂きます。便宜上、次の内容を「②」として記載します。
②対応する英語表現(表記)が(見つから)ない場合
日英翻訳の場合、メーカーの製品や装置などの名称、あるいはあまりにも名前が長い構成要素が出てきたときに、英語表記が分からない、あるいは訳しづらい場合が出てきます。
特に装置や商品の名称については、企業のホームページを見ても英語表記が載っていないことも多くあるので、そういうときには頭を抱えてしまいますよね。
こういうときは、他の明細書やネットに落ちている資料をもとに英語表記を推定し(あるいは見つけ出し)、その出典をコメントに残すのが親切なのかな、と思います。また、構成要素の名称がどうしても訳しづらい場合も、英語で表現しやすい名称に変えて(あるいは、同じ企業が既に出している特許の中に対応する表現、類似表現があれば、それを参考にして)、「表記が容易なため、このような訳語にしました(この特許に載っている表現を参照しました)」ということを一筆添えておくのが、後工程で仕事をして下さる方にも親切なのかな、と思います。
③代替訳がある場合や、便宜上訳出順序を変えた場合
日英特許翻訳では、翻訳会社・特許事務所によっては、「代替の訳も提示する」ことが求められるところもあるようです。これは、権利範囲の広狭を考えたり、日本語明細書の記載だけでは判断が曖昧な場合に、「こういう記載は他にもどうでしょうか」と書くことで、より的確な出願ができるようになる、という、付加価値の高い仕事が求められる場がある、ということです。
(最後の判断は事務所やクライアントが判断することになります)
この「代替案」を提案するのは、求められていないのであれば必要以上に積極的にする必要はないでしょうが(単価が低いのに、そこまでする必要は実際ないと思います)、この話を部分的に考えてみると、請求項の訳出順序や、構成要素の内容修飾を考慮する際、日本語の請求項と同じ順序で訳してしまうと、請求項が非常に読みづらいものになってしまう場合があります。
そのような場合に、「可読性を考慮してこの順序で訳出しました」、あるいは「原文どおりだとこのような訳文になりますが、可読性を考慮した上で、このような記載もできるかと思います」のように、代替の方法を提示するのも、相手によっては付加価値の高い仕事をする、という意味では必要なことかもしれません。
少し長い補足
と、僕が特許翻訳をする際にコメント作成で意識している点は、上に書いたとおりなんですが、最後に補足をしておくと、「意訳をした場合」のコメントなどは、基本的に不要だと考えています。
「意訳」というのは、主に日英特許翻訳で取り上げられることだと思うのですが、両言語の構造上の違いの都合で、日本語で書かれた文章をそのまま英訳することは不可能なことが多いです。
例えば、日本語明細書でよく見る「~においては、~が好ましい」のような文章は、そのまま訳すと読みづらい英文になってしまうことがあります。また日本語の構造上、主語が省略されている、あるいは英訳するときに、日本語では目的語になっている言葉を主語にしたほうが、スッキリ訳せる、といった場合もあります。
これ、実際に日英翻訳のチェックをしたことがある方であればお分かり頂けると思うんですが、「この箇所はこういう風に意訳しました」というコメントをびっしり書かれていても、納期の都合上全て確認することはできないんですよね。
それに、日本語と訳文の英語で主語や目的語が逆になっていても、あるいは、無生物主語のような構文を使って訳した場合でも、日本語を読みながら英語を読めば「意味としてはまあ同じだろうな」ということは普通分かるので、そういうコメントは、チェッカー視点で言うと「余計」に思えてしまうんですよね。
(少し毒づかせてもらうと、そういうコメントがあるときに限って、明らかな訳抜けが見られるとか、結構あるんですよね)
もう1つ、「こういうコメントは書かないほうが良い」と思うのは、翻訳者が「こういうことだと思いますので、こういう風に対応致しました」の、赤字部分がないコメントですね。
これもチェックの仕事をしていて気づいたのですが、コメントの中に「ここはこういうことだと思います」のような、単なる感想(?)のようなコメントが混じっていることが、たまにあるんですよね(ちょっと、文面までは覚えていませんが)。
こういうコメント、チェックをする側からすると「で?」っていう一言しか出せなくて、一体翻訳者さんが、その箇所をどういう風に判断して、かつ、どういう対処をしたのかが分からないとあって、こちらでも対応や確認のしようがない、というもので、チェックをする側からすると、ちょっとうっとうしいかなあ、という印象です(あくまで個人の感想です)。
「こういう風に対応しました」って部分まで書いてもらえると、仮にそれがPCT出願で「原文は原文のまま訳出」のルールだとしたら、翻訳者さんの対応が好ましくない場合は、チェッカーとして「こういうコメントを頂きましたが、スタイルガイドや出願ルートの都合で、こちらでこういう風に変更させて頂きました」のように、コメントを使ってコミュニケーションが取れるので。
できれば、そういう風にコメントは活用したいものですよね。
まとめ:特許翻訳のコメントは「必要最低限の申し送り」で
毎度のことながら、いささかまとめづらくなっているブログ記事ですが、特許翻訳でコメントを残す場合は、「翻訳者の立場を踏まえて、後工程にて必要な内容について必要最低限かつ簡潔に、申し送り(どういう判断と対処をしたか)」ということを意識することで、コメントの質も上がるのではないでしょうか。
かといって、僕もこのステージに来るまで5年ほどの時間が掛かっていますから、いきなり的確なコメントを残せるようになる、というわけではありませんし、クライアントによって求められているものは違うと思いますから、チェックの仕事も含めて、実際の仕事を通して少しずつ仕事の質を高めていくのが、地道ながら確実な方法ではないかと思います。
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