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知財業界での大ピンチ~特許翻訳者が追い詰められた話

毎年7月1日は「弁理士の日」とのことのようで、今年は記念企画である「知財業界での大ピンチ」というテーマで1つお話をさせていただくことになりました。

 

私は特許翻訳者として8年ほど仕事をしていますが、今回のピンチが起こったのは、2018年の3月頃だったと思います。

 

当時、この仕事を始めてキャリア3年目くらいだったでしょうか。

 

このときは、海外生活をしていたのですが、一時帰国をしていて日本にいる間にも同じように仕事をしていて、そのときにピンチは起こりました。

 

 

私は主に外内の明細書の翻訳をしているのですが、基本的には、翻訳ソフトを使う案件をしていて、翻訳ソフトで使える専用のフォーマットでファイルが送られてきて、それを開いて翻訳を進めて納品、ということをしています。

 

あるいは、ソフトの指定がない場合は、自分が使いやすいソフトに支給されたファイルを組み込んで、翻訳を進めて適宜フォーマットを整えて納品、という方法で対応していることもあります。

 

で、以前から複数の取引先と仕事をしているのですが、指示に「PDFに記載の内容に則って翻訳をして下さい。(ソフトに組み込む用の)ワードファイルはあくまで参照用ですので、PDFとワードの内容に齟齬がある場合は、PDFの記載を優先し、その旨を報告して下さい」みたいなことが必ず書かれていました。

 

これに関して、普通は、PDFに書かれている文字を、ワードにしたときに文字化けする(PDFだと、”1,2-dimethyl…”と書かれているのが、ワードだと”l,2-dimethyl…”と書かれている、みたいな)場合があるので、ワードの表記が間違っていてもPDFを確認して、そちらの表記に合わせて下さい、みたいな意味だと思うと思います。

(ちなみに、上の例では、分かりづらいかも知れませんが、数字の1が、アルファベットの小文字のエルになっています)

 

 

実際、そういうレベルの誤記はこれまでに何回も目にしてきたので、適宜PDFを参照してコメントをするなりして対応してきて、特に問題はありませんでした。

 

 

が、トラブルが起こったのは、とある製薬分野の、分量の多い案件でした。

 

おそらく、ワード数でいうと6万ワードほどあって、かなりいい金額の案件です。しかも、合成スキームが延々と続いたり、化合物の官能基を列挙する部分が多いので、(単調な仕事になりやすいですが)そこまで脳みそを絞らないと対応できないような仕事でもありません。

 

というわけで、私はいつものように「ごちそうさまです!」と心の中で合唱しながら、支給されたワードファイルをソフトに組み込んで、見直しもワードファイルを参照して、無事に終えて納品をしたのでした。

 

 

そして、納品が終わってから数日が経ってからでしょうか。

 

 

取引先は翻訳会社なので、コーディネーターさん(登録翻訳者に仕事を割り振る仕事をしてる人)から、「翻訳内容がPDFに則っていないようです」というコメント(というか、実質クレーム)が入ったのです。

 

 

どういうことだ………と思って確認をしてみたら、どうやら、支給されたPDFファイル(要は、米国で出願公開された、英文明細書)と、その翻訳参照用として支給されたワードファイルに、記載が違う部分が散見されたようなのです。

 

 

しかも、その齟齬というのが、文字認識の精度の低さに起因する誤記(上の、数字の1とアルファベットのエル)レベルではなく、特許請求する化合物の官能基の列挙が、PDFとワードで全然違う、というレベルの話だったのです(特許請求の範囲ではなく、明細書の「発明を実施するための形態」の部分だったかも)。

 

これにはさすがにびっくり、というのも、そもそも同じ明細書のデータのはずなのに、PDFとワードで記載が違っていることなんてあり得ないはずですし、今実際にそういうことが起こっているとしても、PDFは文字認識されないので、PDFファイルとワードファイルをただちに比較して、どこがずれているのかを一目で確認する、ということができません。

 

要は、PDFを印刷して、既に納品した訳文と照らし合わせて、(ワードの原文とPDFの原文が)違う部分を人海戦術で確認していかなければいけない、という方法しかとれないわけです。

 

 

これにはさすがに気が重くなりました。5万ワードを超えるボリュームを全て目視確認するにはいくら時間があっても足りないですし、そもそも、社内チェッカーさんがこの齟齬に気づいたであろうと思うのですが、他のどの箇所に別の齟齬があるかも分からない…。いくらなんでも、「ミスがあるのかないのか分からない」ということを、1人の目視確認だけでできるとは思えないのですが、それでも取引の際に「PDFの記載に則って翻訳すること」とは伝えられているので、「ワードを参照して翻訳した」という理由は通用しません。

 

というわけで、そのときは確か、迫っているプライベートの予定をなんとか死守するために、決められた時間で泣きそうになりながら、再度原文のPDFと訳文を付き合わせて確認をしたのでした。

 

 

 

今思えば(というか、当時も、少し時間が経ってから思っていたのですが)、そもそも、PDFの内容とワードの内容がここまで違っていることを把握するのは、私のような翻訳者ではなく、その間に入る代理人の役割ではないでしょうか。まあ実際のところ、出願を考えているクライアントさんが、なにかの手違いでワードファイルを上書きしてしまった、という可能性が高いのでしょうが(それをクライアント側も把握できていなかった)、やはり代理人が何かしらの方法でケツを拭く、という余地がないと、こちらに変な仕事が回ってくる可能性があると思いました。

 

 

幸いにも、ここまでPDFとワードの内容が違っているケースを経験したのは、この時が最初で最後になっていますが、この時の手痛い経験から、ワードファイルを組み込んだ翻訳ファイルを支給されたときも、最後は、そのワードではなく元となるPDFを印刷して付き合わせて見直しをする、というワークフローに変更をしました。

 

変な話かもしれませんが、こういう部分にも、フリーランスの「自分の身は自分で守る」というシビアな要素がありますし、やはり立場上強いことを言えないので、身近に相談できる同業の士業の方(あるいは弁護士さん)がいるにこしたことはないのかな、と思っています。

 

 

※今回の記事は、独学の弁理士講座の「弁理士の日記念ブログ企画2022」に記載の内容に則って執筆しました。

 

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